大きく扉が開く時

2011年8月15日

1年の中で日本中が
この時こそ失った人を思う日は他にないだろう。

お盆でもあり
終戦記念日を迎える今日。

戦争の事は私はわからない。
体験していない者である私は
話を聞いたりしてほんの少し共感できるくらい。


そして
実は身内で亡くなった人も友達も知らない。
唯一ペットの悲しみだけは知っている。

きっとペットの悲しみでも
心が張り裂けそうだから
私には耐えられないから
まだ起きていないと思っている。


だからこそ
このお盆や終戦記念日には
人の気持ちがより美しく感じる。

失った家族や先祖を思い集まる。
失った人を思う。
多くの命を失った歴史を思う。

忙しくしている日常では
忘れ去られている世界も
この時ばかりは扉が開き
あちらの世界と繋がる。

きっといつも繋がっていて
共存している世界なのかも知れないけど

この時ばかりはより繋がりが強く感じる。
失った人とあの世とこの世の繋がり
思う人達の側に…。

そして見守り
挨拶をしてまた帰ってゆく。
どこか光の世界へ。

きっとそれは生きることを精一杯楽しむ為に
生きている者たちの為に
離れているのかも知れない。

私達が精一杯楽しく人生を生きる為に…。


多くの人が想い偲ぶ。
それは素晴らしい風習と改めて感じる。

そして改めて
考えさせられる大切な瞬間なのかも知れない。

生きている事や
命を大切にすることを…。

 

私の知らない私

2011年8月13日

SNSを様々登録している。
ミクシーやFB・ツイッターなど
最近ミクシーはやっていない。
北海道の主婦友くらい。
時々情報交換をしている。


しかし突然
地元の同級生からミクシーで
メッセージがやってきた。

突然 何も前触れもなく
やってくるのがSNSの不思議なところ。

同級生からだった。


しかし
私には小学校も中学校も記憶は薄いのです。

何を考え生きていたか?
なんとなく記憶をたどる。

でも何も考えず登校していた自分しか見えない。
家庭が複雑すぎて学校は薄い。

その同級生は
「仲が良かった友達の名前とか覚えてる?」
と言われても記憶にない。

メッセージを頂いたその人の名前もわからない。


旧姓を教えてと言われて伝えると。
相手は私の幼い頃を知っていた。

「転校してきた子でしょ。」とメッセージが…

それだけで恥ずかしくなった。

転校してきたのは小学3年生の時。

相手はどうやら知っている。

なぜこの人は覚えているのだろう?
アルバムも無いから記憶をたどれない。


地元で飲み会をしているらしい。
今年は同窓会をするからと誘われた。

嬉しい誘いだけど
ちょっぴり怖い気もする。

今は大阪だから難しいかも知れないけど

過去の自分に興味がある。

人は私をどう見ていたのか?
人の記憶に私が存在している。

しかし私の記憶には誰も存在していない。
感情もない私があるだけなのです。

今の私とは別人の幼い自分が
そこにあるような気がして。
不思議な感覚で自分を見つめています。

 


その数日前に同窓会の話を
偶然していました。

私には地元がないんだよね。
同窓会なんてありえないし、きっと名前も変わって
引越しして誰もわからないんだよね。と。

それが数日後
SNSネットワークからこの便り。

今年は一体どうなっているのだろう?
いろんな人と繋がり心を良くも悪くも振り返る瞬間がある。

過去の私を…。

今SNSは繋がりのスピードが増しているのだろうか?

ちょっぴり怖いような気もするけど
自分探しの手がかりでもある。

その人に私のことを聞いてみるのもいいのかもしれない。
同窓会には出られないけど…。

 

 

 

 

心に響く「愛してる」

2011年8月9日

心の悩みの相談には
恋愛があります。

恋愛は時として葛藤や苦しさが表れて悩ませる。
人は愛しすぎると苦しくなる。
愛しているだけならただただ楽しく
ワクワクしていられるのに。


でもそれは恋愛ばかりではなく
愛はあちらこちらで見え隠れしている。

家族との問題には家族愛があるがゆえ
問題が生じる。家族を思うからこその葛藤。

自己中心的な人の中には自己愛が強いが
そこにも愛がある。

美しいものを感じる心にも
物に対しての愛がある。

相談や悩みのほとんどが
見えない愛の見つけ方を認識したくて
出会っているのかもしれない。

その愛に気がつかないから苦しくなるのか?

そんな中
韓国ドラマにはまっていた時期を振り返る。
そこに描かれた恋愛は純愛が多い。
そして言葉が奇麗であり
登場人物は必ず心が美しい人と
醜い人とに分かれている。

しかし最後は心が醜い人も美しくなる。

結局ハッピーエンドになるのだけど
分かっていても号泣したりする。

なぜ涙をながしてしまうのか?
時々考える。

やはり
人を思う気持ちや言葉が
奇麗だからなのかもしれない。

心に言葉が入ってくる。

求めているからなのか?


「愛してる」と言う言葉は
ただその人の気持ちを表している。

しかし
「愛しているよ」と、「よ」を入れるだけで受け止め方は違う。
軽く感じてしまうのは私だけなのだろうか?

言葉は本当に心で感じるものだとしたら
こんなにも違いがあるのかと考えさせられます。

日本文化は挨拶も含めて言葉の大切さや気持ちを伝えるすべは
少し遅れているかもしれないけど
人の心は皆同じなのかもしれない。

人を本当に愛する事を知っている人と
本当に愛されている事を知っている人がどれだけいるのだろう。

でもそれは本物だろうか?と疑問にさせたりもする。

愛は見えないパワーがある。
捕まえようとすれば逃げ、消える。
気がつかないうちに芽生えていたり傍にあったり。

人は沢山の愛がある中で
今を生きている。

難しいテーマがやっぱり「愛」
愛を誰もが持っている種族 人間なのかもしれない。

 

 

 

 


 

田中千栄子 経歴を見る
一般社団法人日本メンタルセラピスト協会 専務理事
日本メンタルセラピスト協会HP
http://www.jmental.com/
最近心の活動に熱い関心を持たれている方がいらして嬉しく思います。
協会ではテキストも中身を見て、立ち読みをして購入くださいとしております。心を扱う人になるには押しつけの心は良くないからなんです。そんな愚痴ではありませんが、この協会の中心にある趣旨(核)がこちらの無料電子書籍です。ハーフの読み物ですが興味のある方はこちらをダウンロードしてみてご覧ください。
この無料電子書籍の後に協会が出来ました。素敵な人の協力があって検定協会があります。
書籍内のホームセラピスト倶楽部って協会の事なんですよ。進化してしまっていますが趣旨のみご理解いただけるとありがたいです。
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