19年前の淡路のシーン

2014年6月9日

19年前、私は豊橋で暮らしていました。

4階のマンションで眠っていて

早朝、長い揺れで目が覚めました。

 

そのまま気になって眠れず

TVを点けて

映像に驚いた記憶があります。

 

しかしその映像は

どんどんと恐ろしい物となり

目を背けた記憶が…

そう。

子供がまだ小さかった時でした。

当時は何も変わりなく

こちらでは生活を送っていました。

死者の数がどんどん増える中

大自然の恐ろしさを実感するのでした。

 

先日

淡路島に出かけました。

目的は航空ラジコンでの競技を競う大会を観戦でした。

(空をとぶものが好き)

 

淡路島の美しい橋を渡り

高速を降りると

北淡震災記念博物館の看板が目に飛び込みました。

 

午前中のほんの少しは目的を終わらせて

興味は博物館です。

 

当時の私の記憶は薄れつつあり

改めて地震の凄まじさを目にする光景が

そこにはありました。

 

それが断層です。

 

大きな地震がもたらした

地面のズレがそのまま残されているのです。

大地の偉大さというか

私達はこの大地で暮らしていて

その大地は地球であるこの大地であると

目で見て実感するのでした。

 

大きな地震は

私が先ほど美しい橋を渡った真下が震源地らしく

そして神戸の大火災と共に

この淡路島の大地に大きな被害をもたらしたのでした。

 

子供の時の記憶も同時に蘇ります。

まだ、幼稚園ぐらいでしょうか?

4階に当時も暮らしていました。

母親が灯油を入れている最中に揺れが起きました。

歩いていましたが真っすぐ歩けなくて

怖くて泣き叫んだ記憶です。

 

地面が揺れるとはやはり恐ろしいことです。

 

名前を呼ばれて

母親に抱きしめられた記憶が

ほんの少しあります。

 

多くの人が大地の揺れを感じ

様々な思い出があるこの地震の時間

 

現在大阪に暮らしていますが

時折、出会う人に当時の話を聞くことがあります。

 

タンスが倒れた話を耳にしたり

その後に、神戸の知り合いのところへ

物資を届けたりの話を耳にしたりです。

 

そんな時ほど

人の支えあいや繋がりが大切だと身に染みます。

 

日本は地震大国と昔から言われていますが

それでも、大きな地震には恐ろしさを感じずにはいられません。

 

現在もスマホでは

日本で起きている地震もすぐ目にする事ができます。

揺れが来る前に連絡が来るアプリも沢山あります。

 

この断層を見て

19年前とは言え

大地で暮らしている私達は忘れてはいけない

身近な歴史であると改めて実感したのでした。

 

 

ちょっぴりリアルな画像ですがすいません。

出会う確率

2014年6月4日

朝の散歩でご挨拶をするお父さん

実は…名前をよく知らない。

でも、1年以上

ワンコの散歩でご挨拶するお父さん

だから私の中では

名前は「お父さん」と名づけている。

(ワンコはいつも遊んでもらっています)

 

朝のワンコの散歩で

時々、そのままモーニングに

誘ったり誘われたりがあります。

 

誰と行くことになるか?

その時次第です。

そんな関係なのです。

 

ワンコ散歩で会う人は

15人ほど…

しかし誰と会うかはわからない。

 

今日は4人でモーニングでした。

 

40代女子ふたり(私)

20代女子ひとり

そしてお父さん。

年齢は聞いていない。

ここは聞かないほうがいいのかな?

 

このような組み合わせは

なかなか珍しいです。

 

実は介護の免許を持っている人が二人(女子)

その現場の話を聞くだけで私は興味をそそられます。

 

知らない世界は

リアル感があるからなのですが…

 

そして、今回は文学的なお父さんも一緒。

噂では出版業界にいらしたとか?

そこは聞かないまま。

しかし普段は物静かなお父さんです。

 

彼女達から

介護の話を少し聞いていると

お父さんの口から

初めてお話をお聞きすることが出来ました。

 

そう。

お父さんのご意見です。

 

介護やペットの関わりについてや

コミニュケーションに関してのお話でした。

 

どんなにコミニュケーションを学び

表現ができても、相手があってのものであり

相手の聞く姿勢や、

相手もコミニュケーションが取れなくては

繋がりとも言えないけど

そうじゃない関係があるというものでした。

 

聞く姿勢の大切さを私も提唱していますが

同時にコミニュケーションの

キャッチボールができなければ

繋がり合わないのを確かに感じます。

 

お互いが繋がり合う瞬間に何かが起き

情報交換にもなることがあるのですが…。

 

しかし

そうじゃない場面もあるという。

 

その場面が介護にはあるとも

お父さんは語っていました。

 

一方通行になってしまう関係性。

 

それは、病気などで

気持ちを表現できない人に対しても

繋がり合っているけど、でも

キャッチボールが出来ない関係もあるという。

 

お互いが話を聞く事ができて

お互いが体験も気持ちも話ができて

初めて繋がり合うものばかりではないと

言葉にしたのは、それが出来ない関係。

 

ペットや介護では応答が出来ないけど

繋がり合ってる世界。

声掛けが大切な世界なのだ!と

 

お父さんのお話から改めて気付かされたようにも思う

朝のモーニングでした。

 

人は様々なことを考え生きている。

どんなに物静かな人でも

思考はしっかりと個性を作り上げています。

 

私は人が好きです。

人には生きてきた厚みが誰もがあります。

その人の個性や思想に触れる瞬間

やはり、人の出会いはいいものだと実感します。

 

人は出会いを軽く見ています。

 

しかし、実は確率的にはとても奇跡的なものです。

世界では65億人

日本だけで考えても

1億3000万分の1の確率で出会い

そしてお話を聞くことが出来る時間の共有は

やはり、その人自身に触れたいですよね。

 

友達になる人も

喧嘩してしまうかもしれない関係でも

朝のご挨拶するだけの関係でも

すれ違うだけの人でも

コンビニで「ありがとう」と伝える関係だとしても

やはりそれは奇跡的な出会いに感じます。

 

だからこそ、

関わる人の話を聞くことは

ありがたくも感じます。

 

お父さんの

関係性について語る時間でした。

 

出会う人は奇跡的と感じると

何か心が軽やかな声掛けになりますよ。

命の儚さ

2014年5月26日

 

 

友人から報告がありました。

「姉の葬儀が終わりました。」と…

 

人工呼吸器を付けて安定していると

耳にして3日後の事でした。

 

ですから、安定してすぐだったのです。

 

ここ1年ほど前から

その友人と対話を続けていました。

もちろん病気で戦う彼女のお姉さんの

話も耳にしていました。

 

時には

病である部分に対して

戦える時期と

戦えない時期があります。

 

今回は

体の中のミクロの戦争は

10年の長期戦になりつつ

終りを迎えました。

 

ガンと戦い10年よく頑張ったと思います。

 

しかし、

少し前まで話も出来る状態だからこそ

突然の機能停止に関しては

命の儚さを、

今回も耳にし感じるのでした。

 

命とはなにか?

 

私達は気がつけば

生きていることが当たり前になり

毎日の時間を

有効に使えているのだろうかとも

考えさせられます。

 

偶然

その日、ほか友人との話で

「生きることは迷惑をかけている。」と考える友人と

(酸素も使っているから派・その他も)

「生きることは素晴らしい。共存」と思う私と

(吐く息の二酸化炭素は緑に役だっている派・その他も)

それについて話していた昼の時間がありました。

 

意見を耳にすれば

迷惑をかけていると言う意見もごもっともな思想です。

しかし共存で一人ひとりが大切な役割を

していると言う私の考えもあります。

 

どちらが正しいか?間違いか?ではなく

生きることに対してどう捉えるか?は

自由な思想だと私は思いますが…。

 

迷惑をかけているから感謝の気持と思う人もいれば…

共存していてどれも大切な存在だからこその感謝の気持は

同じ感謝の気持でも違いを感じる対話でした。

 

そんな中での

この地球に存在する1つの呼吸が消えた瞬間の命があり

そして、新たに誕生して呼吸を始める命もあります。

 

視野を広げれば、始まりがあれば終わりが同時にあり

誰もが誕生すれば終りを迎える日が必ずあります。

 

一つの命が消える時

周りの人は、何かしら感じ、考えさせられます。

生きている私達と、もうここには存在しないけど

生きていた人の温もりや記憶が永遠に関わった人の中に残ります。

 

そして、今生きている人は

自分の時間を悔いなく常に過ごすことが大切な様にも感じます。

 

悔いなくも又、難しい問いではあるけど、

楽しくやるべきことをしながらと捉えるか?

辛くてもやるべきことをしながら捉えるのか?

人それぞれあるようにも思いますが、

終わりの時間が来た時

いいえ、終わった時に人生を振り返り

やり残したことがないように思える

心の状態なら素晴らしい人生ですね。

 

残された人は

命の儚さを思えばこそ

関わる人や大切な時間を快適なものへ

変えられるのかもしれませんね。

 

今回は

改めて、友人のお姉さんの

お話を耳にして感じる

命の儚さでした。

田中千栄子 経歴を見る
一般社団法人日本メンタルセラピスト協会 専務理事
日本メンタルセラピスト協会HP
http://www.jmental.com/
最近心の活動に熱い関心を持たれている方がいらして嬉しく思います。
協会ではテキストも中身を見て、立ち読みをして購入くださいとしております。心を扱う人になるには押しつけの心は良くないからなんです。そんな愚痴ではありませんが、この協会の中心にある趣旨(核)がこちらの無料電子書籍です。ハーフの読み物ですが興味のある方はこちらをダウンロードしてみてご覧ください。
この無料電子書籍の後に協会が出来ました。素敵な人の協力があって検定協会があります。
書籍内のホームセラピスト倶楽部って協会の事なんですよ。進化してしまっていますが趣旨のみご理解いただけるとありがたいです。
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